編集前記

"まとまる前の文章" を "まとめる前" の文章

メディア業界とデータドリブンのトポロジック

完全に雑記ポエム注意。

仕事として何をやりたいのか

転職活動をしていく中で、結局のところ自分は仕事として何をやりたいんだろう、ということをずいぶん考えている。

1年くらい前までは、完全に "通販プラットフォーム" に興味があり、次の環境を選ぶにしても通販もしくはそれに準ずる事業だろうなと思っていた。
今も興味がないわけではないが、それ以外にも視野が広がったのかもしれない。

人と感動までの距離を近づけること

完全にポエミーになるのだが、自分が社会人になってずっと成し遂げたいと思っていることは 「人と感動までの距離を近づけること」 にまとめられる。

日常、あらゆるところにそれぞれの「感動」が落ちている。
小説ドラマをはじめとする "コンテンツ" 一般はもちろんそうだし、4分の曲でも、おいしい料理でも、素晴らしい仕事ぶりでも、自分の本当に欲しいものを手に入れた時でも。

そんな感動の存在を認知させて、体験に結びつける働きができたらいいなと思っている。
デジマートの中の人として消費者の様子を見ていると、軽率にMyNewGear...してみんな嬉しそうな顔をしている。その顔に貢献できていると思うとなんか嬉しいのだ。

通販プラットフォームはわかりやすく人とモノを上手く結びつけることに貢献できる。だから通販プラットフォームが局所解的、携わりたい事業だった。

コミュニケーションを見て思うこと

いったん別の話として、現職の社内コミュニケーションをみると、色々思うことがある。過度に縦割り的で、情報がチームについて閉じている。

うちが出しているプロダクトを見ても、それがわかる。
コンウェイの法則、もしくはチームトポロジーというやつが、おおよそ当てはまっていて、プロダクト間の関連性がまるで弱い。

メディア業を生業としているのに、社内の情報循環がうまくいってない。
ここに思い至った時、「メディアが社会に果たす役割と、データドリブン文化が会社に果たす役目は相似的なんじゃないか?」と気づいた。

メディアとデータドリブン文化(DD)の類似性

メディアは「社会」を雰囲気で語らないための、情報提供媒体としての責務がある。
 ↔ DDは「会社・事業」を雰囲気で語らないための、共通情報認識として働く。

メディアは事実と公平・正確な報道が大事。
 ↔ DDも事実と公平・正確な報道を成し遂げるためのフレームワーク。(SSoTとか)

メディアはローコンテキストな伝え方のほうがみんなに届いていい。
 ↔ DDもローコンテキストなほうがみんなに有用になる。

メディアはそれによって人々がどんな情報を得て、どう考え、どう議論し、何を実行する足掛かりにするかまで責務がある。
 ↔ DDも同様。データ基盤やBIに本質的な価値はなくて、そこから何を得てどう事業価値顧客価値に結び付けるかが大事。

挙げればキリがないが、つまり、
メディア業を成し遂げること⋏逆コンウェイ ➡ 社内データドリブン文化の実装が大事 だと今は考えている。

ふまえて、今やりたいこと

わかりやすい"モノとの距離"を縮めるプロダクトももちろん引き続き興味がある。 でも↑のことをじっくり考えた結果、今は "人と情報の距離を縮める仕事" をやれたらいいなと思っている。

その仕事の先には、感動を近づけてくれる、もしくは受け取ってくれる人がいる。そこに間接的になるけど貢献できそうだと感じた。

経歴としてデータエンジニアの血が流れていることはきっかけの一つで。
正確で有用な情報を社内のみんなに使ってもらいたい。そこからなにかインサイトを得て、業務やプロダクト内容に生かしてほしい。その先のユーザに価値を届けてほしい。

言うは易しで、データ民主化みたいなことは全然進まないのが常。だからこそ挑戦し甲斐はあるし、定型業務には絶対できない(個人個人アプローチ方法が違う)面白い仕事ができそうだなと思う。

技術的に強くなることも大事だと思うけど、結局業務をするのもプロダクトを作るのも価値を感じるのも"人"なのだから、人に強くなりたいと思う。

そんなことを考えて次の職場を考えている。