編集前記

"まとまる前の文章" を "まとめる前" の文章

アサーションの本を読み始めた話

内容はまだないようです

単に読み始めました、というだけの話なのでまだなにも得ていません。
生存報告です。ぼちぼち生きています。

きっかけ

数ヶ月前、自分で言うのもアレですが割と"もったいない"破局を経験しまして、まず間違いなくアサーションの話題が絡んでいたため、次回への下準備としてスタートさせました。

今回のモチベーション

思えば"コミュ障だから"で済ませてきたここ10数年ですが、このスタイルに自分自身が慣れてしまい局所解に落ち着いてしまった気がしています。

他人に多くを求めない、勝手な期待をしない、独りで十分生きていける

となにかそれっぽいことを言って片付けているわけですが、人間みんながみんなはそうではないこと、これだけが正解ではないことを無視できないかなぁと思いいたっている最近です。

よく考えてみれば、"あなたに多くを求めないから"とか言ってしまう関係はそれ相応にハイコンテクストなものでなければ厳しい部分があり、一方的に突き付けてしまうのはそれはそれで暴力だなとやっとこさ気づき始めます。
"求める" はそれすなわち信頼関係であり、それを抜きにして深い人間関係は築けんよなぁと今になって気づいたわけです。  

要は正しい"相手への求め方"を知らず、知らないままに"求めないんだからいいでしょ"とか思っているのが間違いなわけで。*1

ので齢26歳にして初めて"求め方"を勉強するわけです。恥ずかしいですね。
きっと世の大多数は大人になる前に動き試行錯誤し実践で時には傷つきながら学んでいくのだろうと思いますが、素通りしてしまったことは仕方ないので。

なにを開いたの

開いた本はこれ。Kindle版を買いました。物理本が近くに売ってなかったので。

それと積んだまま放置されていたタワーから抜き取り、これも同時進行で読み始めました。

これは完全に 結婚前から育児まで。パートナーと将来を考える時のおすすめ本|あつたゆか|note からの思いつきで、なるほどここで積読が消化される運命(予定)なのかと合点いったので。

きょうのまとめ

アサーション = 自己表現のためのスキル

という認識でいくと、別にパートナー関係に限った話ではなく、広く"社会に住まう者"として社内や日常でも必要とされるものであり、そう思うと、ここをないがしろにしている現状は社会不適格だなぁという自己認識があります。

これについては周りに対し"あの人アサーションダメだな"と思う意図はまったくなく、むしろどんな相手と対峙しても"この人のこの部分はアサーションとして素晴らしいな"と気づくための下準備ととらえています。
現在だとどんな人をみても"コミュ強だな" みたいなn段階評価しかできていないので、ここの解釈解像度が上げられれば今回の読書は実ったなと思うことでしょう。*2

*1:まだ若く高校卒業の春、期待に応えられそうにないという相手に対し"何も期待しないから"と言ってしまった苦い玉砕の記憶が。 うぅ...

*2:実践についてはまだ厳しそうなので...